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本物のサポーター

こんにちは!

バスケットボール推進会です。

 

サポーターと聞いて、皆さんは誰のことを思い出しますか?

私はまず最初に浮かんでくるのは両親です。

皆さんそれぞれ違うと思います。

 

オリンピックで小平選手が金メダルをとりましたが

小平選手のサポーターについてエピソードが書かれた記事がありましたのでシェアさせて頂きたく思います。

~以下、本文から抜粋~


「勝て」と言わぬ支援者 小平、金の恩返し

一度も「勝て」と言われたことがない特別な支援者に、恩返しした。平昌冬季五輪は18日、スピードスケート女子500メートルに小平奈緒(31)が出場、金メダルを獲得した。信州大学卒業後、実績の少なさから所属先が決まらず、競技生活の続行も危ぶまれた。その時、手を差し伸べてくれたのが「相沢病院」(長野県松本市)。五輪新記録で頂点に上り詰めた女王は「みんなに『ありがとう』と伝えたい」と目を潤ませた。

2009年の大学卒業間際。小平は苦境に立たされていた。大学での主な実績は、2年時の全日本距離別選手権1000メートル優勝と、4年時の同選手権1500メートル優勝などで、世界に広く知られる存在ではなかった。

 小平は競技続行に当たり、同大教授の結城匡啓(まさひろ)コーチ(52)の指導が受けられる環境を希望した。だが、当時はリーマン・ショック真っただ中。「世界一」の肩書もない小平の希望を受け入れてくれる企業はなかった。

 そんな中、日本スケート連盟が提携するスポーツドクターで、相沢病院のスポーツ障害予防治療センターに勤務する村上成道医師が、当時院長だった相沢孝夫さん(70)=現最高経営責任者=に引き合わせてくれた。08年に左足を痛めた際、リハビリをした病院でもあった。

面談した相沢さんが抱いた小平の第一印象は「さわやかで、派手なことや華美なことは求めない人」。「広告塔」として期待したわけではなく、「スケートに打ち込みたい」という真っすぐな瞳に心を打たれた。「話しているうちにすーっと僕の中に入って来て支援を決めた」。同センター職員として給料を払い、用具代、遠征費など年間1000万円超をサポートする。

 10年のバンクーバー五輪では1000メートルと1500メートルで5位、14年のソチ五輪では500メートルで5位に入ったが、なかなか才能が開花しなかった。小平はソチ五輪後、飛躍を求めてスピードスケート王国・オランダへの留学を希望した。

 「いいんじゃないか。本人がやりたいようにやれば」。話を聞いた相沢さんは、14年春からの2年間、長期出張という形で、小平をオランダに送り出した。オランダ仕込みの「強者のメンタリティー」を手にした小平は、帰国後の16年からW杯500メートルで15連勝を続ける。

 平昌五輪を10カ月後に控えた昨年4月。小平からもう一つの要望があった。「バンクーバー、ソチ五輪に出場し、同部屋だった同い年の石沢志穂さんをサポート役にしてくれないか」。相沢さんは、この時も二つ返事でOKした。「過剰な要求をしない小平がお願いしに来たということは、石沢さんを本当に必要としているということ。素人では世界で戦うサポートはできない」

 石沢さんは遠征に同行し、試合中もそばにいる。「練習もすごく雰囲気がいい」と喜ぶ小平は、昨年11月のカナダ遠征中にもツイッターに「身体再生中。いっしーのお料理で、長い遠征中の身体づくりもバッチリです。カナダにいるのに、日本より日本らしい食事」と投稿した。

 「躍動感あふれるレースができた」と振り返った小平。「長野出身で頑張っている小平を応援しているだけ。僕は一度も『勝て』と言ったことはない」と話す相沢さんに、輝くプレゼントを贈った。


素晴らしいエピソードだと思いませんか?

 

本当に応援してくれている人は

何の見返りを求めず、

ただその人の夢に対する情熱と

その夢に向かって努力する姿を

ただじっと見守ってくれる人なのだと思います。

 

私はまだまだ、サポートしてもらう側ではありますが

いつか誰かをサポートすることができるように

まずは夢の実現に向けて日々チャレンジしていきたいと思います!

 

なり得る「最高の自分」になるために。

 

それでは今日は、このへんで。